2019年9月21日、東京芸術劇場にて読響のコンサートを聴きに行った。
プログラム
第220回土曜マチネーシリーズ
2019 9.21〈土〉 14:00 東京芸術劇場
指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ピアノ=ルドルフ・ブッフビンダー
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
私はブッフビンダーが好きなので、この公演を聴きに行った。マラ5はおまけのつもりだったのだが・・・
順を追って感想を。
ブッフビンダーのベートヴェン
ご存じの通り、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番は、1番、3番、5番のように壮大な曲ではなくて、言い換えると、ダイナミクスで持っていく曲ではなくて、繊細な美しさで勝負する曲である。東京芸術劇場のような大ホールでは、なかなか表現が難しい曲だと言える。なぜなら、ホールの残響のなかに音の粒が溶け込んでしまいがちで、注意深く聴いていないと結局ダイナミクスの表現しかわからないということになりかねないからだ。貧乏人の私が取った席はB席で、2階席、左側、最後方だったので、余計にそれを感じる場所だった。
しかしである。ブッフビンダーの表現力にかかると、その残響の中に、確かにその美しい音の粒を拾うことができるのである。彼の音楽表現には、全くと言って、自己顕示がない。この自己顕示というのは「私はこんなに作曲者のことを勉強してものすごく普遍性の高い演奏をしていますよ!」というような押しつけがましいものも含む。ピリオド奏法なんかもその部類かもしれない。それはさておき、ブッフビンダーの演奏は、もちろん、研究されつくした普遍性の高い演奏であり、決して自己顕示はしていないが、決して非人間的でもなく、ただただ美しい音のの並びがそこにある。あれだけの大ホールなのに、その音楽表現は隅々にまで行きわたる瑞々しさがある。左手の力強さもある。アルペジオの中に潜むポリフォニーに自然な強調がある。素晴らしかった。アンコールは、悲愴ソナタの第3楽章だったが、これも全く同じ意味で感動した。付け加えるならば、この曲が持つダイナミクス型の聴かせどころも素晴らしかった。
1つ、苦言。お客のマナーが悪かった。具体的には静かに聴いていられない人が多すぎ。特にこの曲は耳を澄ましていないと、この大ホールでは良さがなかなか伝わってこないので、そういう人たちは非常に損をしてことになると思う。
読響×ヴァイグレ
このコンサートはブッフビンダーを聴くことが目的で、マラ5、もっと言えば読響はおまけのつもりだった。さらに言えばヴァイグレという指揮者もまったく眼中になく、予備知識もなかった。しかし、ベートーヴェンを聴いているときから、薄々、おや?と感じていた。コンチェルトの指揮もオケも簡単じゃないが、ブッフビンダーの素晴らしい音楽にピッタリつけられていた。例えば冒頭のピアノのすぐあとに入るオケのドルチェからして素晴らしかったし、終楽章の最初のテーマのヴァイオリンの上行形のおしゃれな抜き方とか、「お、ひょっとしてこの指揮者、できる?」と思わせるものがあった。よくあるピアノソロが速いスケールをやってからオケが入るような部分(芸大生時代の山田和樹がスカッドミサイルにパトリオットをぶつけるようなものと表現していた)の指揮も見事に決まっていたし、技術も高い。
マラ5に関しては長い曲なので改めて予習として、アバド、ベルリンフィルのライブ録音を出かける前に聴いていたのだが、妻に、「ベルリンフィルなんて聴いてしまったら、日本のオケが見劣りしてしまうのでは?」という趣旨のことを言われて、私も「まあまあ、そうかもしれないけど、一応予習必要だから」くらいの感じで受け流していた。しかし、実際の読響の演奏を聴いて、まず最初にこのようなやり取りを恥じて、そして謝罪したい。いまや音楽の世界もグローバル化していて、音楽表現の標準語も世界中に行きわたっていると思う。もはや「味噌汁臭い」日本のオケはないのかもしれない。その点でまず誤解があり、実際の演奏ではなんら問題なかった。それだけじゃない。マラ5と言えばトランペットのソロだが、この上手さが半端なかった。音を外す外さないのレベルを超えて、音色、音量、音楽表現、どれをとっても、少なくともオーディオ装置を通したベルリンフィルを聴くよりも何倍も価値のあるものだった。生の音であることのアドバンテージというか、バイアスというか、その分を差し引いても、ある程度張り合えるんじゃないだろうか。トランペットだけじゃない。ホルンも、トロボーンも、チューバもすごい。オーボエは素晴らしかったが団員名簿を見ると女性の首席はいないようなのでトラ?、フルートは普通にうまかった、クラとファゴットはあまり印象はなかった、チェロがものすごくうまい、弦楽器全体的にうまい、そして、指揮者。神経質な表現は一切なく、奏者がのびのびと演奏できるような指揮の仕方であり、バトンの中でオケが自由に泳ぎ回るも、ちゃんと指揮者自身のやりたい表現の方に向かっている。曲の解釈は全て適切で、ブッフビンダーと同じく自己顕示は全く感じられず、ただそこにはマーラーの音楽だけが存在する感じだった。そして、これは重要なことだが、ベートーヴェンとは違い、マーラーの音楽はエンターテインメント性が強いのであるが、その意味でも素晴らしかった。具体的には金管と打楽器のパワーであったり、楽器の掛け合いの音場的あるいは視覚的な面白さであったり、そういう楽しみ方が自然にできるのも、音程、テンポ、リズム、メロディーの歌い方全てに不安定さがないから。あとで解説を見て知った。このお方は、ベルリン国立歌劇場の首席ホルン奏者出身であることを。なるほどである。
読響はものすごくうまいことが分かった。そして、ヴァイグレという素晴らしい指揮者がこの世に存在することを知った。よいコンサートに巡り合えてよかった。